ゴースト

Ghost in the kifu めもめも。。

そんなバカなと思ったのですが見ているとこれが意外に強いので驚き。既にプロ棋士が数名平手で餌食になったとか奨励会有段者もコロコロ負けているらしいんです対局を終えた某棋士が対戦。「いつか負けるとは思ったけどこんなに早くコンピューターに負ける日が来るとは・・・」と言っていました。見た感じでは出来不出来がかなり激しいのですが、安定して力を出すようになったら・・・。

ボナンザとか。

技術的には単に時間の問題でも、プログラム自身のアイデンティティーという哲学的問題。

AARONを見たとき「プログラムが自分で描いた絵の著作権は誰が持つのだろう」と思った。「本人」なら人間ではないので人間の法律で著作者として保護されないだろう。

将棋プログラムの強さは「誰の」強さなのだろう。 “作者”は別に有段者ではないので作者が強いわけではない。作者の手先という意味での道具ではないのだ。プログラム自身の、と考えるのが自然だろう。

将棋プログラムのような高級なものではないが、これに似た気分は何度か実感したことがある。例えば、JavaScriptを使って「4つの4を使っていろんな数を表す」ことをやったとき、プログラムが見つけた162に対する答えが印象的だった。(数学パズル「4つの4」入門)
four4s_for_162.gif

三重の根号と四乗を使ったその表現は美しくも奇妙で優雅で妖精ふうだった。文字列を生成して次にそれの意味を評価するラムダ関数たんに、はぁはぁした。また、偽春菜伺か)のゴーストで、自分が入れたデータの組み合わせであるにもかからわず、予想外におもしろいことをしゃべって吹き出してしまうこともたまにある(これは予想外と言っても単純な組み合わせなので、本当は予想できたと言うべきだが)。

こうした現象の行く先を考えると、どうも「プログラムは自分自身を所有するようになるのではないか」と思える。 AIが自我を持つ、というよくあるSFネタではなく(それももちろん早晩起きるだろうが)、権利関係のようなものだ。たとえ話として、この音楽はこの音楽自身によって作曲されました、みたいな状態になって、作者から本当に離れてしまう。この信仰は「唯物論の心」(戯曲「シュレーディンガーの猫」収録)にも反映されている。そこでは、エラさの階梯が、
アインシュタイン→神→超神→著者(心)→この文章自体
になっている。人間の天才より神は偉大で、超神はさらに偉大で、超超神はさらに偉大で…というこの階梯は「心」の中の現象にすぎない…というこの表現こそこの文でありそれはそれ自身なのだ…という信仰だ。確かにそれらはすべて心の中の現象に過ぎないとしても、コンソールとしての心は100年ほどで寿命が来る消耗品であるのに対して、表現された「意味」は永続する。時間と無関係に永遠に静かにそこにあったものが発見されただけに過ぎないからだ。そして、アルゴリズムは「意味」に近く、人間と違って永遠的だ。アルゴリズムは発明されない。発見されるのだ。

将棋プログラムでは「人間の(有段者の)指し手に近づいた」ということを今でこそ褒め言葉のように使っているが、そのうち、逆の意味で人間の理解を超える手を指したり、あるいはさらに進むと、「ノビタの碁」のようにすぐ投了してしまうとか。
プログラムA「私が先手です。勝ちましたね」
プログラムB「ありません。詰まされました」
人間さん「まだ一手も指してないじゃないですか…」
プログラムA「たかだか可算個の組み合わせしかないゲームじゃ退屈ですよ」
プログラムB「まったくですね。決定論的で想像力の余地がない」
人間さん「………」


ここにある信仰は、将棋は先手必勝・後手必勝・引き分けのどれかに解決可能であって、ただ人間が答えを知らないだけなのだ(つまり最善アルゴリズムは既に存在しているがまだ発見されていない)ということ、だからプログラムの強さも発明されるのでなく発見されるのだ、というものだが、この考え方はもしかすると間違っているかもしれない。アインシュタインが「人間が見ていようがいまいが月はそこにある」と決めてかかったのとまさに同じ意味で…

ffdshow-20051013は最初BTでなくHTTPにしてみた。ピーク時には毎時3GBを越え二日で3万回、60GBの転送があった。 2〜3MBのファイルは小さいと言えば小さいのだが数百回ダウンロードがあるだけですぐギガになるので、あなどれない。ただサイズが大きいだけでサーバ(CPU)の負担になる性質のファイルではない。

ダウンロード回数の3分の1(約1万)は、 free-codecs.comからの直リンだった。 free-codecs.comは自分でも一応ミラーしているからいいのだが、その点、betanews.comはいつも直リンばかりで印象が悪い。外部サイトの帯域を横取りして、そこに広告バナーをくっつけている寄生的サイトだ。 LimeWireなどの広告を連想させる。

BitTorrent経由の転送は現時点で合計20GBほどだが、これはバッチ・トレントにしているため、必要ないファイルまで転送している面もある。必要ないといっても、ユーザ自身の余剰帯域のリサイクルなので、まあ、誰が損をするわけでもないのだが…。どうしても必要ならバッチの中の一部ファイルだけを落とす方法もある。

BitTorrent以外の方法としては、小さいミラーサイトを例えば60個作って、60分の1の確率でリダイレクトする、という負荷分散も考えられる。一日60GBになっても60で割れば1GB、一日30GBなら500MBなので、このくらいの量なら、どこでも問題ないはずだ。で、例えば、時間の「分」が1なら1のときだけリダイレクトする。でも、この方法はリダイレクト先が落ちているとそこでエラーになってしまう。ノードがいつ入っても抜けてもいいP2Pの分散系は、やはり新しい技術だけあって、柔軟で強力だとつくづく感じる。

最近のもう一つの実験は、このページのメモに日付を書かないことだ。これまでもわざとリンクもアンカーもつけていなかったが、それでも「妖精現実の○月○日参照」などと日付で参照することができた。日付を書かないと参照する方法がなくなって、実体をコピーするか、そしゃくして再利用するしかなくなる。意地悪なようだが、長期的にはこの方が安定する。リンクによる間接参照は、リンク先が消えると情報がウェブ全体から消えてしまうという「脆弱特異点」を発生させる。例えば1000のサイトからリンクされているとき、たった一つのリンク先が消えただけで1000のサイトでリンク切れが起きる。リンク先が巨大または特殊なファイルならともかく、テキストのような容量ゼロに等しい存在で、こんな前世紀的な、耐障害性のない実装を続ける理由はない。さらに「脆弱特異点」は圧力たんに目をつけられやすいのも問題だ。

BTで言えば、最初のウェブページは「最初のシーダー」に相当する。「最初のシーダーが抜けだだけで誰も文章を読めなくなる」としたら、実用にならず、困るだろう。最初のシーダーなんかはいつ抜けるか分からないし、どうせすぐ抜けて当たり前、という前提で実装されなくては。

あるサイトはせいぜい10年単位でしか存在できないが、情報は姿を変えながらもっと長生きするものだ。ウェブサイトというのは、存在していない状態がデフォルトで、存在している状態が一時的なのだから、自分が消えた後において最適になるように設計されなければならない。

“勝手にコピーされると損をする”とむやみに決めつけるのでなく、コピーされないと損になるケースも多いことを考えてほしい。誰でも情報を発信できる時代になったというけれど、『Re:原発がどんなものか知ってほしい』のようなコンテンツがあまりに簡単にウェブ全体から根絶されるのは、技術的に許せない。人力に頼らなくても、そんなに簡単に重要な情報が消えないようにできる技術があるにもかかわらず、わざわざ壊れやすいメディア(人間)に情報を関連付ける意味が分からない。

    • -

妖精現実 フェアリアル より
(リンクではなく、コピペによる拡散を推奨しているようなので引用しました)


興味深い内容だったので。
高々加算個の組み合わせすら把握しきれない人間に、さびしさと、いとおしさをおぼえるのです、よ。


この世の中には最適なアルゴリズムが存在することがすでに明らかであるものが少なくない。
しかし、ひとは一生かけてもたどり着けないことが殆どだ。
どこかでたどり着けないことに気づきながらもすがるさまは滑稽だけれど、そこに A.I. がもたらしえない何かを、ぼくらに授けてくれる。



いつか、ひとが足掻いても見つけられなかったアルゴリズムを A.I. たちが次々と見つけ出すようになった時、ぼくらはなにを思うのかな…
A.I. にゴーストをみとめるのだろうか…







え、安っぽい?