FFIV にっき - 2

8時間ぐらいはいっていると思う。
地底に行ったところ。

GBA には「モンスター図鑑」ってのがあって、そういうのがあると、オジサン、ハアハアして「よーし、コンプするゾー!(腕まくり)」とか思っちゃう訳なんです。
ゾットの塔でなかなかエンカウントできない敵がいて、二時間ぐらい無駄にしちゃったぞ。
でも何とかエンカウントできて、ま・ん・ぞ・く…


前半が終わったわけだけれど、やっぱりパロム・ポロムが身を挺して仲間を救うところとか、テラじーちゃんのメテオ炸裂で絶命とか、いやーオジサン、心がアツくなっちゃうよ。
エーン
この直後に発売された DQ4 はリアルタイムから数年遅れぐらいでやったけれど、やっぱり目指してるものが違う感はあるな。
どっちが良いって言われると、困るんだけれど。


以下ぐだぐだ。

TVゲームが生まれて数十年、今では市場として大きなものになった。(日本での市場は縮小しそうだけれど)
黎明期には認められなかった、新しいメディアとしての力というものが、近年ようやく認められ始めたんじゃないかなぁという感じがする。
だけれども、社会から認められ付与された力・権威が、まだまだその市場規模にマッチしていないアンバランスな状態にあると思う。
映画から遅れること90年のTVゲームが、今後どんな風になっていくのか、興味深い。
メディアとしての力を得るためには、優れたクリエイターによる優れたコンテンツが必須だと思うけれど、果たして、FF はその中に入っているんだろうか。

個人的な意見としては、最近の FF は「なにがしたいのかよく分からない」。
ゲームなのか、映画なのか。
あるいは、その間にまた新しいジャンルを作ろうとしているのか。
「よくわからないから、受け容れられない」そんな感じかなぁ。

やたらかっこよすぎなキャラデザも、ちょっと、なんか、ヤダな。
「とりあえず欧米風にしとけ」みたいなもんが感じられるのはおれだけ?
売るためにはその辺の戦略もいるんだろうけれど、ゲームの本質から外れているように思える。
ていうか、キャラデザを野村ッチじゃなくて、天野ッチにして下さい。
それだけで満足。
ちっちゃい頃は「なに、このヒロポンで逝ってる絵」としか思えんかったけれど、年くってオジサンになったらヒロポンで逝ってる絵の良さが分かってきました、よ。
野村ッチの絵はおれの求めてるファンタジーじゃなくて、腐女子の求めるファンタジーなんだよね。
あれ、じゃあボクの求めてるファンタジーって、ヒロポンで逝ってるファンタジー?
ていうかトリップしてるだけジャン。
ハハ