非対称だと感じて初めて、時間の尊さに気づく

対称性を厳密に証明なんてできないけれど。



もう一度読んでみるべきだと思った。銀河鉄道の夜
さそりについて、神さまについて、鳥を捕る人について。
新世界交響楽。
ハレルヤ。
ジョバンニがカムパネルラが居ないことに気づいた時、カムパネルラはもう居ない。

考えて考えて、導かれるこたえは、毎回違う。
全く違う。
なんでなんだろうと、答えがでないだろう問いをふたたびかけてみて、この前はふと、それらが直交しているんじゃないかなあと、思えた。
この解(空間)は、直交系であり、もちろん完全系であるような関数系により、なされるんではないか。
ぽつぽつと思いつく解(局所的問題の解)は、あくまで求めるべき解(統一的問題の解)、つまり無限の独立な項からなる線形和の一項に過ぎないわけで、項をいくら有限個求めたところで、解は求められない。
なんとなくうすうす実感としてそれは感じるんだけれど、でも、ね。
考えずにはいられないというかなんというか。
ほんと愚かですよね。どうしようもない。


すごい無力感はあるんだけれども、ただ、ジョバンニの『胸うつ叫び』だけは分かる気がする。


いまできることをできるだけやる。
きっと、そういうことなんだよね。
月日は流れたけれど、いまはそれしか、わからない。

新編銀河鉄道の夜 (新潮文庫)