音楽が流す涙

おととい、飛行機のクラシックチャンネルでバッハのシャコンヌが流れてた。
聞いててなんか涙とまんなかったよ。
乱気流でちっちゃいこがキャーキャーいう中、おっさん泣いてんの。
それほどまでに神々しくて、しかし内省的でした。


バッハ:シャコンヌ
ハーン(ヒラリー)
ソニー・ミュージックジャパンインターナショナル (2004-11-17)
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こういう話するとさめちゃうけれど、対位法的にもしっかり聞き取れて、四声あるいは三声が隙間なく展開されてる。
今まで知識として知ってて、そういう曲なんだと情報としては体に入れていたけれど、ようやく魂を入れることができたと思う。

突き放された完成度に、それに応じる演奏。
受け取る側はその波に呑まれ俯瞰されるのみなのに、押し付けがましくない。
無意識的な世界の一部になってました。
手出しのできない完成された世界の一部となりえた、幸福感。
選ばれたが故の満足と孤独。



その日の天候はうす曇りの雨で、しとしととうるさくない程度に路面を湿らせる。
そんな雰囲気がとても幸せで心地よく、オープンカフェでコーヒーと向かい合う。
灰色の空と道の視界の中で、ブラームスによる雨の歌が、ピアノの残響の上に弦と成すハーモニー。
頭蓋の中をひたりひたりと満たしつつ、絹糸のようなテクスチャーの漣を立てるイメージがまた、幸せを与えてくれた。


こっちも、泣けるの。
それは先ほどとまた違う、冷静ながら温かい涙でした。
温かい世界を、下から上から視線で包み込み、やさしく祝福している。



しかし今改めて思い直すと、やっぱり疲れてたんだなと思う。
疲れているときって、周りの世界が眩くて、火傷しそうなほどに神聖なものに見えがちよね。
こうして今少し理性的に振り返られるのは、やはり単純に落ち着いたこともその要因のひとつかな。



でも、そういうことが必要なときもある!
ビタミン剤とまで即物的なものには思えないけれど、音楽が精神の可塑性を取り戻させる何かを持っていることは間違いない。