介護実習 - 特別養護老人ホームにて

昨日一日、特別養護老人ホームにお邪魔して、介護実習というものをさせていただいた。今週いっぱい、月曜日から金曜日までお世話になる予定だ。
自分が今まで見ていなかった、触れていなかった世界とふれあって、また一つ、視野を広げられたかな、と思う。

私は介護に関してはなんの資格も持っていない、ずぶの素人である。要は、何をして良いのかも全くわからない。こんな状態で一体何を体験出来るだろうか、と色々考えていた。結局答えが出ないままに今日体験させていただいたのだが、一日体験してみて、少しだけ分かった気がする。



シーツ交換や、洗面台の洗浄など、初めは私を担当して下さる方の指示に従って仕事をこなしていた。だが、出来ることには限りがあるし、私が行った日にうまく、それらの作業をするわけでもない。なので、すぐに何もしていない時間というのが生まれてしまった。

かなりの時間、どうしたものかと考えていた。
入所されている方に話しかけたりするのも、逆に気を遣われたりすると意味がないし、かといって、何もしないのは意味がない。
私の担当の方が席を外されている時や、お食事のお世話をする時に少しお話しする機会が出来て、お話を聞いているうちに、なんだか、今広く言われるところの「介護」というものが分からなくなってしまった。





「子供に迷惑をかけたくない」
「自分のことは自分でしたい」

そう思って入所される方はいるだろう。
だがしかし、私がお話しさせていただいた6人に関しては、入所から今まで、その気持ちを貫き通しておられる方は、いなかった。恐らく、普段介助して下さる方には言えないようなところがふと、期限付の実習生である私に漏れてしまったのかなぁ、と思ったりする。
言葉の差、思いの強さの差はあれ、みなさん、心の底の帰りたいという気持ちを述べておられた。

なかでも、私が一番印象に残ったのが、

「入所してからたのしいことなんか一つもない」
という言葉だ。

私からの「入所していて何か楽しみはありますか」という私の質問に対する答えなのだが、予想と違ったあまりにストレートな答えに、しばし黙してしまった。これだけの立派な施設、立派な介護体制が整っていて、さまざまなレクリエーションが施される。そんな環境にあって、この言葉は、本当に意外だった。入所者の方々は働いているわけでもなく、一日の時間はたっぷりあるから、何か一つぐらい楽しみや趣味があるんだろうという考えで質問したのに、正反対の答えが返ってきたのだ。

これは一体どういう事だろうか。




更に、入所していた年近くになるのに、一度も外に散歩に行っていないという話も出てきた。その方は足腰が頑丈とは言えないまでも、自力で数分歩くことぐらいならなさるし、なにより、外に出たいと願っておられた――介護する方の忙しさに輪をかけるので、大きな声では言えないまでも。だがしかし、その単純だけれど、大切な願いは叶っていなかったわけだ。

結局、これは私に出来ることではないだろうかと思い、担当の方の許可をいただいて、二人で一緒に軽く散歩をしたのだが、途中で見受けられる花に対して、事細かに感想を述べられ、心底うれしそうな顔を見て、私の中で少しずつ考えがまとまりだした。



世間で言うところの「介護」とは、要介護者のための介護からは大きく離れて、要介護者を介護する人のための介護、に近づきすぎているのではないかと言うことだ。

利益を追求する上では致し方ないとは思うが、施設がどんなに整えられていても、人的資源が全く追いついていないために、入所者の「こころ」が置き去りにされているのではないか。
介護士さん達は一生懸命に働いておられた。見て、本当によく分かった。
だが、衛生管理やら、医療のお世話やら、そういう「かたちの見える介護」に手がいっぱいいっぱいになってしまっていて、入所者の心までケアし切れていないように見えた。

その状態でも、老人ホームとして機能する最低限の条件なら満たしていると思うが、入所者にとっての満たされた生活を提供するためには、家族の本を離れ、一人で暮らしている方々の「こころ」のケアにも、同じだけの比重を割くべきではないのだろうかと感じた。


例えば、レクリエーションなら、画一的に行うのではなくて、個々人の好みに応じて細分化する。
例えば、室内で快適に生活出来る環境でも、四季を感じられる外に出られるようにする。

そのためにはどうしても人が必要だ。


私は、期限付きであれ、現状で見落とされがちな「こころ」を中心に、関わっていこうと思った。
そして、立派な施設を導入する前に、人を充実させるべきなのではないかと、立派な施設を見上げながら、思った。