eureka

大河に流されるひとは
気づかない




ゆっくりと
広がる川幅に
角をおとす石に
固められる河岸に


希釈される記憶に








無邪気に輝くみなもに
不変のドットを見て
ひとは気づく




あわてふためき
ぶざまにも流れに逆らい
ことごとく沈められ








咽喉の不快感とともに
薄れた意識を満たすのは


うつくしくわらう
透明だけ

時が笑うのか、嗤うのか。
意味があるのかないのかすらわからないのに、わかれを経験したたびに考えた。
でも、まだわからない。
死ぬまでわからない気がするし、死んでもわからない気もする。






ヴィオラを部屋に置きに行くと、部屋の前の廊下で、手製のトレーニングパッドで小気味よい音を立てていて、お互いなにげない挨拶をした。
希薄な意識。

目を閉じれば鮮やかに描ける(自発)のは、同じ時間に、何日も、何度も、繰り返されたから、ではないと思う。

なぜだろう……