ナガサキ

原爆資料館行ってきました。


こういうところに行くたびに、ものすごい無力感に襲われるね。
しかし常に目を向けて自分の方向性を定めていないと、「いざそうなったとき」に流されちゃうっていう危機感だけで見てる気がする。


現実を見据えた上で、理想に近づく方策を練っていたい。
兵器だけでなく、机上の空論も人を殺す。




展示の後半は反戦平和に主眼が置かれてて、それだったら資料館の名前をもう少しアレンジした方がよいのでは。
また、朝鮮人被爆者をあえて別に分ける必要性はあったのか。
こういう場所での細かなカテゴリ分けは、観覧者を特定の思想に誘導することにはならないのだろうか。